「今の給料、安いな」
私自身、20代の頃にふと考えたことがあります。「世間的に見れば、悪い給料じゃない。でも、大企業に比べたら、そんなに高くはないよな」と。
そんな20代の終わり、社会人5年目に、父からこんな言葉をもらいました。
「今もらっている給与額は、自分の能力相応と思ったほうがいい」
最初は「えっ」と思いました。でも、何度も反芻するうちに、この言葉の意味がじわじわと自分に染み込んできたんです。
今では、給料への不満で消耗することがほとんどなくなりました。代わりに、「じゃあ、どうしたら能力を上げられるか」という方向に頭が動くようになった気がします。
この記事では、父のこの一言が私の働き方をどう変えたか、そして心理学の視点でも筋が通っている理由を、自分の体験を交えてお話しします。
父の言葉を聞いた日のこと
私がこの言葉をもらったのは、社会人5年目、29歳のときでした。
少し余談ですが、私はアメリカに留学していた関係で、同世代より2年遅れて社会人デビューしています。だから5年目とはいえ、年齢は29歳。同期より少し遅れてのスタートでした。
実家に帰省するのは、お盆と正月くらい。そして帰省すると、決まって一度は父に呼び出され、二人で話す時間がありました。あの日の夜も、いつものように二人で話していました。
仕事の話になり、私はこんなふうに言いました。
「給料、世間的には中小企業の中では中の上くらいやと思う。けど、大企業に比べたら、そこまで高くはない」
不満をぶつけたつもりはありませんでした。ただ、自分の現在地を淡々と話しただけ。すると父は、さらっと、こう返してきたんです。
「今もらっている給与額は、自分の能力相応と思ったほうがいい」
父は、元々は商社に勤めるサラリーマンでした。その後、規模こそ小さいですが、自営業を営む起業家であり、経営者になった人です。雇われる側ではなく、人に給料を払う側、価値を生み出す側の視点から、ぽつりと言葉をくれたのだと思います。
ちなみに父からは、18歳のときにも人生を変える一言をもらっています(参考: 親しき仲にも礼儀あり)。我が家の大事な場面では、いつも父の言葉がありました。
「給与額=能力相応」という考え方
父の言葉を、私はこう解釈しています。
「給料が安い」と発言する人は、裏を返せば「より高い給料を得る努力をしていない」「今の会社でしか勤められない能力だ」「より給与の高い場所に転職する力が、自分にはない」と、自分で言っているようなものではないか。
少し強い言葉に聞こえるかもしれません。でも、自分自身に当てはめてみたとき、確かにそうだなと感じました。
文句を言っている時間があるなら、スキルを磨くか、別の場所に動くか、自分で交渉するか、どれかをやるべきだ。それをしていないなら、今の給与額が「自分の市場価値」だと、市場が答えを出してくれているということ。
そう考えたとき、給料への不満は急速に消えていきました。
そして、不満が消えた代わりに、「じゃあどうする?」という問いが残りました。これがありがたかったんです。不満は人を動けなくしますが、問いは人を動かすからです。
心理学で言う「統制の所在」と地続きの考え方
実は、父のこの言葉、心理学の概念とすごく相性がいいんです。
「統制の所在(Locus of Control)」という考え方があります。心理学者ジュリアン・ロッターが提唱した概念で、ざっくり言うと「自分の人生の結果は、自分の行動でコントロールできる」と感じる傾向(=内的統制)と、「結果は運や環境で決まる」と感じる傾向(=外的統制)に分けたものです。
研究では、内的統制傾向の強い人ほど、行動が積極的で、長期的な幸福度も高いと言われています。
父の「給与額は能力相応と思え」は、まさにこの内的統制を促す言葉だったんだなと、今では思います。
「給料が安いのは会社が悪い」「上司が見る目がない」「景気が悪い」——これらは全部、外的統制の枠組みです。事実としては正しい部分もあるかもしれません。でも、その枠組みに居続ける限り、自分は何もしなくていい人になる。
逆に、「給与額は自分の能力相応」と考えると、自分が動く理由が生まれるんです。
ただし、すべてを自己責任に押し付けるのは違う
ここまで読んで、「いやでも、努力だけじゃどうにもならないこともあるやろ」と感じた方もいると思います。
その通りです。私もそう思います。
たとえば、こんなケース:
- 業界全体の賃金が抑えられている(日本の停滞、特定産業の構造的な低賃金)
- 家族の介護・自身の健康問題で動けない
- 居住地・ビザ・年齢的な制約
- そもそも、自分の市場価値を知る情報にアクセスできていない
こうした状況にある人に「努力が足りないだけ」と言うのは、酷だと思います。
だから、父の言葉も、「100%自分のせい」と短絡的に解釈するんじゃなく、「自分でコントロールできる部分を見極めよう」というメッセージとして受け取るのが、健全だと思います。
他責は、現状を維持するための言い訳になる。
自責は、現状を変えるための選択肢になる。
その違いを意識する。それだけで、毎日の行動が少しずつ変わってきます。
この言葉を聞いてから、私が変えたこと
正直に言います。この言葉をきっかけに、何かをどっぷり勉強し始めた、というわけではありません。資格を取ったわけでも、すぐに転職活動を始めたわけでもない。
変わったのは、マインドでした。
「給料が低い」と外に向けて言うのをやめて、「今いる環境で、どうやって成果を出すか」に意識が向くようになったんです。
そこから少しずつ景色が変わっていきました。
大手企業を顧客にさせてもらえる機会が増えたり、大手の新規開拓ができたり。社内では、会社の役員の方々との接点も増えていきました。気づけば、自分の存在を会社の中でアピールできるようになっていたんです。
劇的な転身ではありません。でも、「環境のせいにする」のをやめて「環境の中で動く」に切り替えただけで、確実に何かが回り始めたんです。それを実感した数年間でした。
行動が局面を変えていく感覚は、15歳でニューヨークに渡ったときにも味わったものでした(参考: 非日常が人生を変える)。
まとめ:不満は他責の合図、行動は自責の選択
「給料が安い」と感じたとき、それはただの不満ではなく、自分の現在地を知るサインだと、私は思うようになりました。
そのサインに気づいたあと、どうするか。
- そのまま不満を言い続けるか
- 自分の市場価値を上げる行動を始めるか
- 別の場所に動く準備を始めるか
- それとも、給与以外の価値(時間・健康・人間関係)を優先する人生を選ぶか
どれを選んでもいいと思います。大事なのは「選ぶ」こと。
父の一言は、その「選ぶ」を私に教えてくれました。「他人や環境のせいにしていたら、選択肢は永遠に増えない」ということを、たぶん父は伝えたかったんだと思います。
私はそう思います。きっと。
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『親しき仲にも礼儀あり』
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